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大学で心理学を学びながらスポーツメンタルコーチを目指す学生。 シンプルが一番。難しくさせているのは自分。

失敗は失敗にならない

 

 


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人のブログを読んでいると記事を書きたくなる泉圭織(@mental_izumi)です。

 

 

あるスポーツ心理学の本を読んでいるとふと気づいたことがあった。

 

 

 

 

まず初めに私が今見ている本はこちら。

 

 

教養としてのスポーツ心理学

教養としてのスポーツ心理学

 

 

 

大学で配布された本である。

 

 

 

 

その中で試合や本番、競技の後の振り返りについて

 

「成功」か「失敗」で判断する

 

 

という評価の仕方が書かれていた。

 

 

 

 

 

 

「成功」とは

自分がやるべきことをしっかりできた、そして勝った

or

自分のやるべきことはしっかりした、しかし負けた

 

 

 

「失敗」とは

自分がやるべきことができなかった、そして負けた

 

 

この中間にくるのが

「自分がやるべきことができなかった、しかし勝利した」

終わりよければすべてよし!とはスポーツでは言えず、まあいいかで済ませる人もいれば心にわだかまりやひっかかりが残る人もいる。

 

 

 

 

しかし「失敗」というのは本当に存在するのだろうか?

 

 

 

 

失敗の正体

 

大会や本番でミスしたことが失敗か?

負けたことが失敗か?

 

 

 

 

私は失敗を経験と考える。

 

イージーミスをしても試合に負けても失敗に大きい、小さいはない。

すべては失敗する経験をした、と考える。

失敗する方法を学べばまた同じ経験をするようなことになっても、ちょっと変えてみようとなる。

 

 

 

 

 

 

経験はお金では買えない。

自分で見て、聞いて、感じて、触って、味わって体験しなければわからない。

だから大人やコーチ、監督は

「いっぱい失敗してもいい」

と言う。

 

それは「いっぱい経験しろ」と言い換えられる。

それは言葉の違いで、失敗はネガティブに捉えてしまうし、ダメなんだなと落ち込みやすい。

それなら「経験」にしておこうじゃないの。

 

 

 

 

 

 

 

経験はその人の財産

 

人は死んだら貯金したお金も、買った本も、お気に入りの服も持っていけない。

自分に残るのは経験や思い出。

 

そして私たちは生きている世界の人たちの記憶に残ることができる。

どんな人でも必ず記憶に残っている。

生きている人が自分を思い出したときに幸せな気持ちになって心強くなってくれるようにするしかない。

 

いなくなってしまった自分ができることはそれしかないのよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

失敗の正体2

 

だれかが

失敗とは転んだことではなく、立ち上がらないこと

というようなことを言っていた。

 

失敗を失敗のままに終わらせるな。ということらしいが

失敗を失敗だと思っている時点で失敗じゃないか?

 

全部経験にしてしまえばいいと思う。

転んだことも、膝を擦りむいたことも、泣きじゃくったことも、助けてと叫んだこともぜんぶ。

 

 

 

そこで転ばなかったら経験できなかった思いばっかりなんだから、それはいい経験だったんだよ。

お金を払って感じられるものではないでしょう?

だからその経験を大事に、大事にして、自分の財産とする。

 

 

 

そう思うと立ち上がるのも案外ラクにできたりするんだよ。

もしかしたらもう立ち上がっているかもしれないしね。

 

 

肝心なのは言葉の捉え方。

 

 

 

 

スポーツメンタルコーチ 泉圭織