大学で心理学を学びながらスポーツメンタルコーチを目指す学生。 シンプルが一番。難しくさせているのは自分。

学生や子どもがやるスポーツは勝ちではなく社会性を求める

 

 


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スポーツにおいて勝ちをこだわるのはエリートスポーツやプロスポーツ選手だ。

彼らは卓越した能力を発揮し、競技することを仕事にしているため勝つことがお金になる。だから勝ちにこだわる。

 

それが地域のスポーツチームや、学校の部活、授業で絡まってくると「勝つためならなんでもしていい」と考えて過度な練習量やずるい手段で勝とうとする。こういう場所では卓越した能力を競うのではない。

 

 

「スポーツ哲学の入門」という本の中でこんなことが書かれていた。

 

 

 

じゃあ、学生や子どもがやってる運動ってなんだよ。

って話になる。

 

 

 

学生や子どもがやるスポーツは卓越した技術や能力を競うというより、「運動能力の発達をみる」と言った方がいいかもしれない。

 

この歳でこんなことができるのか!という驚きで人間の発達が見られる瞬間になる。

 

 

それが年々若い人のレベルも上がってきて、この歳になればこんなこと当たり前。みたいにされると競技レベルが上がってると言われる。

 

自分よりもプレーが上手い人はごまんといる。

宮沢賢治は告別の中でこういっている。

なぜならおれは

すこしぐらいの仕事ができて

そいつに腰かけているような

そんな多数をいちばん嫌におもうのだ

 

 

学生や子どものスポーツで周りよりも上手いからと満足しているようでは他のことを始めても続かない器用貧乏になる。

 

学生や子どもが目指されるスポーツは勝つことではなく、

ルールという規則があってそこに従っていくこと、

そのルールがきちんと適応され競技出来ているかの判断、

競技をすることで得られる連帯感

という一言で言えば社会性が育まれることを目指すべき。

 

 

「待てる」大人の存在

 

勝つことは目に見えてわかりやすい。社会性はその瞬間に目では見えない。目に見えて分かるようになるのは何年後か、何十年後か。

 

そこで「待てる」のが大人。

宮部みゆきは「ソロモンの偽証」の中でどの子どもにも共通して言えることは「待てない」という特徴があると表現している。

 

我慢するとも言えるが、我慢というといかにもそわそわしてるようなイメージが私にはあるので「待てる」と使いたい。

 

学生や子どもの社会性が育つには「待てる」大人の指導による。

 

 

 

目の前のことを全力で取り組むこと。

と教えながら数年後の相手のことも考えられると地域や学校のスポーツは変わると思う。

 

 

 

 

 

 

 

スポーツメンタルコーチ 泉圭織